平家と源氏の因縁《神戸へ》

今週末は講話会と神言のために神戸に向かいます。
また、カタカムナ講座も開催します。

神戸、兵庫には平家一門の跡が多く残り、
今でも人々の厚い信仰を集めています。

源氏の家系による戦いのカルマ(因縁)を解き清めるということは、
敗れた平家方の方々が訪れるようになります


その前に、今回は、神戸記念として、
平家の歴史をお伝えしてまいりましょう。


平清盛は、

歴史上とても興味を持っている人物の1人です。

のちに出家した清盛



これまでの常識を打ち破り、武家社会をつくりあげ、
さらに京都から都を移そうという、
途方もない考えをもった人物でもあります。


それまで都は京におかれていました。

平安末期の治承4(1180)年6月、
平清盛は、都を京都から福原(兵庫県神戸市中央区~兵庫区北部付近)に移してしまいました。

400年も続いた平安京からの遷都は、
高倉上皇はじめとする皇族や平家一門からも反対の声が挙がりました。

それでも清盛は強行したのです。


福原には平家の港があり、
ここでは中国の宋との貿易も行われていました。


しかも、

自身の孫に当たる「安徳天皇」が即位し、
天皇の祖となった清盛。

反対勢力である寺や皇族たちを退けて
新たな朝廷をつくろうとしたのです。


清盛は、仁安3(1168)年に出家してからは主に福原に居住していました。

平家一門の別荘も多く、ここに都を置くことは、
貿易にも政治的軍事的にも優位であり、干渉も押さえられる場所でした。

しかし、強い反対を押し切ったために、
「平氏追討令」が出されます。



以仁王の挙兵(もちひとおうのきょへい)は、
高倉天皇の兄宮である似仁王と源頼政によって、
打倒平氏のための挙兵を計画し、
諸国の源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発しましたが、

計画は露見して追討を受け、
以仁王と頼政は宇治平等院の戦いで敗死し、早期に鎮圧されました。


ですが、これをきっかけに、
諸国の反平氏勢力が兵を挙げることになります。


このために、清盛は苦渋の決断を下し、
平安京へと再び都を戻し、鎮圧に務めることになるのです。

しかし、福原への思いを果たす前に、
翌年の治承5(1181)年、病に倒れて亡くなります。

その後、兵庫は源平の戦いの地となるのです。


武家出身でありながら朝廷でも栄華をきわめ、
武家政権を樹立した平清盛。

清盛の目指した都、「福原」に遷都が実現していたら、
兵庫はどうなっていたのでしょうか?



次回へ続きます。

こうした重要な歴史が重なる神戸で祈りを奏上します。


重なる戦いの歴史、
阪神淡路大震災の犠牲となった方々、
すべての魂の救済となりますように。



Love All Serve All
MICHIKO

講話会・カタカムナ in 神戸


《 講話会・神戸 》
12月14日(土)
15:15-17:45(15:05開場)

《御神言・神戸》
12月15日(日)※満員御礼・キャンセル待ち

《カタカムナ・ウタヒを響かせよう》
12月15日(日)10:10-11:50

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