概要
題名のアルジュナの由来は、ヒンドゥー教の聖典バガヴァッド・ギーター (Bhagavad Gita) であり、同聖典の神と王子をなぞったキャラクターが作品に登場する。また、物語の構成に『華厳経入法界品』に類似する部分がある。物語は、放射性廃棄物問題・環境問題・遺伝子組換えなど、現代社会の抱えている問題を取り扱った。

あらすじ
ヒロインの有吉 樹奈(ありよし じゅな)は神戸に住む高校生。両親が離婚した日、恋人の大島 時夫(おおしま ときお)と共にバイクでツーリングをしていた樹奈は事故に遭い、臨死の状態になる。心臓の鼓動が止まり、彼女がまさに「無」になろうとした時、クリスと名乗る少年の意識体が彼女の前に現れ、「もしお前がラージャと戦い、清めるならもう一度命を与えよう」と告げる。
樹奈はクリスの言葉を承諾し生き返るが、そこにクリスの仲間が来て強制的に樹奈を連れ去り、怪物ラージャが出現して暴れている原子力発電所に置き去りにする。最初は混乱した樹奈だったが弓を取り戦おうと決意した時、再びクリスが現れ言う。「何故 戦う 何故 殺す」 樹奈は言う。「だってあいつがみんなを殺そうとしてるから」 クリスは言う。「そんなことの為に殺すのか」
戦いが始まり、樹奈はラージャを殺す。それを見てクリスは寂しそうに言う。「お前は汚れている、汚れは祓わなくてはならない」 その言葉に最初は訳も分からず怒りを覚える樹奈だったが、やがてその言葉の「本当の意味」を知ることになる。

第一章 時のしずく

第二章 青い光

第三章 森の涙

第四章 転生輪廻

第五章 小さきものの声

第六章 はじめの一人

第七章 見えない言葉

第八章 とおい雨

第九章 生まれる前から

第十章 ゆらぐ遺伝子

第十一章 かえらざる日

第十二章 国ほろびて

第十三章 今

バガヴァッド・ギーターは、ヒンドゥー教の聖典であり、現在の哲学、宗教の元といわれる。
王子アルジュナと守護神クリシュナの叙情詩として繰り広げられる物語であり、未だ進化の途上である私たちへのメッセージである。

バガヴァッド・ギーター、カルマ・ヨーガの道を示してる。
行為の必要性を保持し、しかしその行為は、行為自体に執着することなく、結果を動機とすることなく遂行されなければならない。
バガヴァッド・ギーターはこれを「行為の中に無為を見、無為の中に行為を見る」(4章18節)と表現している。この利己が切り離された行為をさす。

クリシュナは以下に示した句で、動機や執着から離れた行為の遂行について、物質的束縛からの、そして輪廻からの解脱を果たすための行為について詳しく述べている。

あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。

アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であるといわれる。

身体により、意(マナス)により、知性(ブッディ)により、また単に諸感官のみにより、ヨーギンたちは行為をなす。自己(アートマン)を清めるため、執着を捨て。
—バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳、(第2章47節、48節、第5章11節)

マハトマ・ガンディは、バガヴァッド・ギーターに寄せて以下のように記している。
「わたしにはギーターの目的が自己実現のための最もすばらしい道を示すことにあるように思える。そしてこれは、私心のない行為によって、欲から離れた行為によって、結果を動機としない行為によって、全ての行為を神に捧げることによって、すなわち自身を自身の体と精神にゆだねることによって、完遂される」。
ガンディはバガヴァッド・ギーターを「無私の行為の福音」と呼んだ。
ギーターは真の解脱を達成するためには欲求と感覚的快楽を好む傾向をコントロールすることが重要であるとする。

人が感官の対象を思う時、それらに対する執着が彼に生ずる。執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生ずる。
怒りから迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生ずる。記憶の混乱から知性の喪失が生じ、知性の喪失から人は破滅する。

—バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳、(第2章62節、63節)